362番 1987年9月15日 悲しみの聖母の祝日 秋田にて

「なぜ私はまだ泣いているのでしょう」


 わたしから、これほど愛され、わたしの敵からこれほどわなをかけられた子よ、わたしは、わたしの悲しみの祝日、わたしの子イエズスのあらゆる無限の苦しみに母として協力する典礼上の記念日に、あなたがここに来るようにのぞみました。

 わたしの愛する子らと、ほかのすべての子らの霊魂に、わたしの汚れなき心から下る多くの不思議な恵みで飾られたこのあなたの旅行において、今日は、わたしから祝福されたこの場所、すなわち、わたしが、キリストと共にあがないのみ業にあずかった神秘を思い出させるご像の前にあなたを連れてきました。

 わたしは、イエズスの十字架の下に立っていました。わたしは、わたしのすべての子らがになう十字架のもとにも立っています。わたしは、こんにち、教会と、罪に汚されたこのあわれな人類がになっている十字架のもとに立っています。わたしは、真の母であって、ほんとうにいっしょに、あがないの業に協力しています。

 わたしは、このわたしのご像の目から奇跡的な涙を流しました。このことは100回以上におよび、数年間にわたってでした。

 なぜ、わたしは、まだ泣いているのでしょう?

 それは、人類が改心して神にたち戻るようにというわたしの母としての招きを受け入れていないからです。人類は、神とその愛のおきてにそむく道を頑なに走りつづけます。神は公に否定され、侮辱され、冒涜されています。あなたたちの天の母は、公にあざけられ、笑いものにされているのです。わたしの特別なよびかけは、受け入れられていません。わたしがかぎりない悲しみのしるしを与えてさえも、信じられないのです。

 あなたたちの隣人は愛されていません。毎日、そのいのちと財産は狙われています。人間はますます堕落し、不敬になり、悪意にみち、残酷になっていきます〔ノアの〕洪水よりも恐ろしい天罰がこのあわれな、堕落した人類の上にくだろうとしています。天から火が降るでしょう。それは、神の正義がご自分の偉大な現れのときをすでに定めておられるという“しるし”です。

 教会が分裂の道、まことの信仰を失った道、棄教の道、それに謬説が誰にも反対されないで日ましに宣伝されている〔まちがった〕道を歩みつづけているので、わたしは泣いています。わたしがファティマで予言したこと、そしてここでわたしの小さな娘にまかせた第3のメッセージの中に示したことは、すでに、実現されつつあります。それで教会にとっても、その偉大な試練の時が来たのです。なぜなら、罪悪人が教会の内部に住いを定め……荒らすもの、いとわしいものが、神の聖なる神殿に入るからです。

 わたしの子らの霊魂が数多く失われ、地獄に行くので、わたしは泣いています。

 それに、祈るように、つぐないをするように、苦しむように、ぎせいを捧げるようにというわたしの招きを受け入れる人々があまりにも少ないので、わたしは泣いています。

 わたしが話すのに、耳を傾ける人がいないので泣いています。わたしは、奇跡的なしるしまでも与えたのに、それでも人々は信じませんでした。わたしは、強く絶え間ない方法であなたたちに現れましたが、あなたたちは、自分の心の戸をわたしに開いてくれませんでした。

 わたしの汚れなき心に奉献された愛する子らよ、イエズスが、その神的な愛の安全な柵の中に注意ぶかく守っておられる小さな残りであるあなたたちは、そうです。少なくともあなたたちは、切なるわたしのこの招きに耳を傾けて、これをうけ入れなさい。.わたしは、きょうも、この場所から、世界のすべての国々に同じ招きをします。

 ご自分の栄光の輝きをもっておいでになるキリストを歓迎する準備をしなさい。主の偉大な日が、すでに来ているからです。